2018/05/31 16:56

紫といえば

「欲求不満」


現代ではそう答える人が多いかもしれません。


この四文字。

紫の雅で高貴なイメージとはちょっと離れたイメージをもつ、四文字。



紫。美しい色なのにね。



そこで今回は

紫の雅で高貴で、崇高なイメージを

紫がみてきた歴史を振り返りながら、おはなしします。




紫はね、高貴な色として昔からずーーーっと人々に尊ばれてきた色です。

東洋でも、西洋でも、世界中で!



ローマ皇帝も紫を纏ってた。




中国の言い伝えによると

天帝は亡くなられると、北極星になる、と言われていたんだって。


亡くなると、お星様になる。

なんともメルヘンな言い伝え。


その北極星は、紫色に輝く星、として「紫微宮(しびきゅう)」なんて言われてたそうな。





紫は力のある人たちの色として尊ばれてきたと同時に

みんなの憧れの色でもある。





世紀の大ベストセラー『源氏物語』にも、紫色は多く登場します。


登場人物、光源氏の母は「桐壺更衣(きりつぼのこうい)」の「桐」は紫の花を咲かせるし

光源氏を支える正妻の名は「紫の上」。

昼ドラさながらの禁断の愛で結ばれる「藤壺中宮」。



みーんな、紫に関係してる。




そもそも、この物語の作者は「紫式部」。

紫式部は、実は本名「藤式部」。



藤原氏の「藤」をもらって、藤式部として仕えていたんだけど

源氏物語が人気を博したものだから

登場人物「紫の上」にちなみ、人々から「紫式部」と呼ばれるようになったんだって。





まぁ、「藤」も紫色やし、藤式部も紫式部も・・・そない変わらんけど。





登場人物だけでなく

その人物たちが纏う着物の描写にも、紫の色がたくさん。



光源氏が、愛する女性たちに贈る着物はどれも

海老染、濃き紫、紫の薄様、紫の匂、などの色。

これらはすべて、紫の色のこと。



源氏物語は紫のお話って言っても過言ではないほど

紫が多用されています。





「紫」というキーワードで結ばれたこの物語の描写は

読む人の中で膨らむイマジネーションをより鮮明なものにし

雅やかで美しく、そして少し妖艶な色をつけたことでしょう。





このことからもわかるように

紫という色は人々の憧れの色であり

とても愛された色だったのです。





しかし、この紫にも

苦難の時代がありました。





いままでもこのブログで綴ってきた、色の話。

毎度お騒がせ、幕府の「色」へのいやがらせ。





そう。「禁色」ってやつ。





江戸時代には「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」を発令。


町民だけでなく

高貴な人も僧侶もみんな、紫禁止!




幕府、嫌な感じ~。




でもこんな危機的状況こそ、ヒーローが生まれるときでもあるのです!



このとき幕府は「紫衣法度(しえはっと)」も発令。

これは何なのかっていうと・・・




この時代、朝廷がめっちゃ偉いお坊さんに

紫色の袈裟(紫衣(しえ)といいます)を与えてて、これは朝廷にとって大事な財源でした。




朝廷っていうのは、天皇がいるところね。

幕府は将軍様が仕切ってるところ。




幕府はその、

朝廷が紫衣をお坊さんに与える権利を奪おうとした。

「やるなら幕府の許可もらってからやってや〜」と、偉そうに言いだしたのです。




朝廷にとっては、大事な財源でもある「紫衣の授与」を取り上げられたら、腹立つよね。





当時の朝廷、後水尾天皇(ごみずのお天皇)は、そんな幕府の命令を無視!

「そんなん知るかい!」と言わんばかりに、偉いお坊さんに、紫衣を与え続けた。

天皇が紫衣を与えたその偉いお坊さんの中には、沢庵和尚(たくあんおしょう)も。





た・・・たくあん?




たくあんって・・・あの、たくあん?






そうです。あの、たくあんです。


カリコリ美味しい、あの、たくあん。

ご飯のお供、あの、たくあん。





沢庵和尚は、お漬物の考案者としても知られるお坊さん。





最高。沢庵、最高。(呼び捨てすんな!by沢庵)

沢庵、マジリスペクト。(呼び捨てすんな!by沢庵)





話は逸れましたが、

後水尾天皇が、幕府を無視して沢庵和尚らに紫衣を与え続けたので、幕府はプンプン。


罰として、なんか知らん遠いところに流される羽目になってしまいました。






でも結局そのときの将軍が亡くなられると、許してもらえたので、京都に帰ってきました。






この一連の事件が一件落着しても、

幕府は懲りない。


やっぱり、町人が派手にオシャレにルンルンしてるのが気に入らない。





「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」を発令。

これは、以前の色の話でも出てきたことです。




贅沢すんなよ、庶民!っていうやつね。


このルールで、やっぱり紫も禁止。



ただ、そんなことでオシャレを諦めないのが、江戸っ子の「粋」。



ルールで禁止されている「紫根染の本紫」でなきゃいいんでしょ?ってことで

茜や蘇芳を使って

「似紫(にせむらさき)」という色をつくっちゃって。



これは禁止されている紫よりもやや濃いけども、人気爆発。






一方その頃、

毎度おなじみ、江戸時代のファッションリーダー、歌舞伎役者は、といえば。






やっぱり紫を纏って、キャーキャー言われてました。






なかでも特に

さすが!の紫コーデを着こなしていたのは

二代目 市川団十郎。





「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」という演目で。



このとき彼は、鉢巻に「江戸紫」を纏っていました。

足袋の色は「黄色」。




この色のコーディネートが今回のポイント!




紫と黄色。

まさに補色のコーディネート!



ん?補色?と思ったあなた。

ここで、「補色」について説明しますね。





色相環、というものをご存知ですか?





雨上がりに空にかかる虹を思い浮かべてください。


赤、オレンジ、黄色、黄緑、緑、青、紫。





よく、七色の虹、と言いますが

この色々を

ずーーーーっと繋げると、ひとつの輪になります。





この輪のことを「色相環」といい、

その「色相環」の輪のなかで、反対に位置する色のことを「補色」といいます。



例えば

赤の反対にある色は、緑。

つまり、赤の補色は、緑。





団十郎が纏った、紫と黄色。

紫色と黄色は色相環上で、反対に位置する色。

紫と黄色は「補色の関係にある色」ということになります。





色のコーディネートをする上で、

色と色には相性っちゅーものがあって。



その相性は、色相環の並びでみることができます。



例えば、色相環で並んだ色のうち、

隣り合う色は、相性があまり良くないのです。






隣り合う色の組み合わせでいえば、

例えばこんなファッション。






真っ赤なTシャツ

オレンジのカーディガン

黄色のスカート


このコーディネート、どうですか?






歩くボンカレーみたいやね。


(注:懐かしのボンカレー。)





※ 隣り合う色でもうまくコーディネートするコツもありますがね!







二代目 市川団十郎が舞台で纏った

江戸紫の鉢巻と、黄色の足袋。


補色の関係にあるこの二つの色ですが

「補色」は、とーっても相性のいい組み合わせ、といわれています。






「色相環」なんてものがなくても、

江戸のファッションリーダー団十郎は

補色のコーディネートを着こなしていたのです。






しかもこのときの団十郎。

黒の着流しに、真っ赤な襦袢。



紫と黄色という補色のコーディネートに加え

着物は黒、インナーは赤、と、なんとも粋な組み合わせ。





想像してみてください。

黒の着物からチラリズムしている真っ赤なインナー。

頭には明るく濃い、江戸紫の鉢巻。

足元には刺すように鮮やかな黄色。





舞台に映える衣装ですよね。

なんとも、粋。





江戸ガールズがキャーキャー言うのが

平成を生きる私にもめちゃくちゃ共感できるほど

きっと当時の歌舞伎役者たちはかっこよかったんだろうなぁと。






そう思いませんか?







時代は明治に入り

日本政府は外国の国に追いつけ追い越せ

不平等条約を解消しようと

東京の鹿鳴館で舞踏会を開き、各国の高官をお招きしました。



日本の高官のご婦人たちも、もちろん参加。

当時、外国で流行ってたドレススタイルに身を包み、ダンスを楽しむ日々。



当時流行ってたドレスっていうのは、

ディズニーアニメのシンデレラの意地悪なお姉さんたちが着てるみたいな

腰のあたりからボヨ~ンって大きくなって

スカート膨らませてあるみたいなやつ。





わかります?笑





わからなかったら

「シンデレラ 姉」で、検索!笑





シンデレラを置いて舞踏会へ出かけるときのお姉さんたちが

まさにその大きなお尻のドレス着てはります。







そんなことはいいねん!

お尻のドレスのことはいいねん!






このときの日本のご婦人方のドレスについて

舞踏会に参加したフランスのおじさまが日記に記しています。




「森に咲く小さな花々の模様を飾った、えもいわれぬ似つかわしい色合いの

 たいそう淡くたいそう地味な藤色の・・・

 (中略)

 ようするにパリに出しても通用するような服装」





すごくないですか?




日本は開国が遅れた分、欧米諸国の文化から

とても遅れていただろうに。



つい最近まで着物を着ていたのに。


ファッションの国、フランスのおじさまに


「パリに出しても通用するような服装」だなんて


そう言わせるほどに、ハイセンスなドレスを纏って。




それもきっと、

そんな風に言われるのだから

そのご婦人はとてもそのドレスが似合っていたのでしょう。





昔から

おしゃれ禁止令、ともとれる奢侈禁止令に代表されるような

幕府の禁止令を、毎度毎度かいくぐり

それぞれのおしゃれを楽しみ「粋」を生み続けてきたのは

まぎれもない、町民、庶民たち。





日本がどんな歴史を辿ってきたにせよ

日本人はそもそも、めっちゃセンスいい人たちなんじゃないのか。





今回の「紫のはなし」を綴るなかで

わたしはその

日本人のその生まれ持ったセンスに

なんだか誇らしく感じたのでした。




紫。

欲求不満、という四文字を超えて

人々にもっと愛され、尊ばれる色でありますように。