2018/02/06 15:15

色のおはなしを綴っている、このブログ。


だいぶん、間があいてしまいました。






こういうとこあるよね、わたし。


すぐ、ほったらかしにするとこ。


そういうとこ、直さなあかんで。








言うてる間に、季節は秋ですよ。


ボサーーーーッとしてるうちに。








ここで一句。


『もう秋や ひと月経ったら もう冬や』








そらそうや。


トムソーヤ。










そう。あっちゅう間やでな~きっと。




トムソーヤ、とか


わけのわからんこと言ってるうちに、


美しい紅葉がまた、人の心を浮つかせる季節がやってくるのです。


(すでに浮ついてるわたし)






赤、黄、橙。紅葉の美しい色、早く見たいねー。










今日は、紅葉より一足お先に。黄色のおはなし。


まずは、いつものごとく、着物からみる黄色のおはなし。








いままでこのブログでお話ししていたように、


昔は、この立場の人はこの色しか着ちゃダメ!みたいに


決められた時代があったのですが。






西暦でいうと、693年頃。


めっちゃ前。


この頃は、黄色はみーんな着てもOK!


主に、農民たちに親しまれた色だったそうな。








農家の人たちが着ていた黄色は「刈安」っていう植物から採取された


「刈安色」っていう黄色。




この「刈安」という植物、見た目ほぼススキ。


全国どこにでも生えてたので、めっちゃ刈り安い。








ん?・・・刈り安い・・・








そう、刈り安い。








ちょちょちょ・・・


ダジャレやんーーーー!ぶっとびーーーー!!!










どこにでも生えてて刈り安いから、刈安。


うそのようで本当の話で、昔の人は、だからこの植物のことを


「刈安」と名付けたそうな。






昔の人って意外と単純。


↑悪口。笑








そこから127年も過ぎて。


突如、黄色に革命が起きます。






みーんなに親しまれてきた黄色。


まさかの!!天皇が黄色を着るようになったんやて。






何で急にそうなったかっていうと、


中国の皇帝が赭黄袍(しゃこうほう)を着てて、真似したんやって。


その赭黄袍ってのが、黄色やねん。






そんなに黄色が羨ましかったんやろか。






わたしがテレビで佐々木希が淡いピンクのワンピースを着てるのを見て


ピンクのワンピースを着たがるのと同じやろか。




・・・知らんがな。










日本の天皇が着てた黄色は、「黄櫨染(こうろぜん)」ってやつ。


「櫨(はじ)」っていう木から抽出する黄色の染料で下染して、


そのあと紅花の赤を上掛けすることで、ちょっと赤みがかった黄色。






めっちゃ手間かかってるやん!






天皇が櫨で染めた「黄櫨染」を着るようになったら


もちろん、皇太子も「黄丹色(おうにいろ)」っていう黄色着だしちゃって。






この黄丹色は、「支子(くちなし)色」って呼ばれる色で


植物の「梔子(くちなし)」の実で染めた温かみのある黄色。








紅花に支子色を掛けて染める「深支子(こきくちなし)」や


「浅支子(あさくちなし)」っていう色は


その皇太子の服の色である黄丹色(おうにいろ)に似て温かみのある黄色やから


庶民は着るのん、やっぱり禁止。






もちろん、天皇の黄櫨染の櫨も。












でも、紅花とか入れないで100%くちなしの実で染めたものは


「聴し色(ゆるしいろ)」っていって、


誰でも着ていいよ~って許されてたんだってさ。










やっぱり色は日本の文化にすっぽり定着してるよね。






まぁ、そもそも、天皇の黄櫨染は


中国のマネなんやけどね。






でも。そう考えると、今の日本の習慣や文化は


中国から伝わったものが多いよね。








漢字だって稲作だってそう。






伝わったものを、その時代やそのあとの時代に生きた人たちが


自分たちのものとして生活に取り入れてきた結果、今、日本の文化として残ってる。








日本は伝わった文化を、自分たちの風土や生活に合ったものへと


少しづつ変化させ、独自の文化を生み育て、


丁寧に、自然と対話しながらその文化を生きてきたんだと思います。








日本の人たちの生活にとって、そして、日本の自然にとって良いと思うことは取り入れる。


そしてアレンジしながら、柔軟に、生活してきた。




でもその当時は、それが「文化」だなんて、大それたものだとは思ってなかったかも。




普通に、伝わったことを真似しながら、


ああしてみよっか、こうしようか、と言い工夫しながら「暮らし」ていたんだと思います。








人々が日々の暮らしの中で、していること。


それが、暮らしを豊かにするもので、自然とも共存できることで、良いものであれば


それは自然と、後世にも残り、それが「文化」になる。










今、現代のわたしたちが毎日していることが


いつかの将来、「日本の文化」として残っていることが、いくつあるかな。






良いものは、残る。






当たり前のことに思えるけど、


文化は、人がつくるもの、なんやなぁ。












現代に残る、日本の色たちも


すばらしく美しいものとして現代に残ってくれていて。






アスファルトに覆われ、建物が並ぶ


通勤の隊列に流され、スマホに目を落としながら歩く






季節の草花や、季節の雲が流れる空の色を感じることが少ない現代でも


日本の季節は素晴らしく美しいものだよ、と


思い出させてくれる。








現代に、都会に、生きてると知り得ないような


美しい日本の景色の色を教えてくれる。








日本の伝統色は


現代だけでなく、もちろん後世にも伝えたい、誇らしい、「日本の文化」やと思うのです。