2018/02/06 15:12

「地球は青かった」




いつかの宇宙飛行士が宇宙からみた地球について表現した、


有名なことば。






青って、地球そのものの色。


地球には、青がいっぱい。


地球に生まれたわたしたちは、毎日、「青」に囲まれて生きてるのです。






今日は、わたしたちが毎日目にする、「青」のおはなし。




日本の青の呼び方。


「そらいろ」「紺色」「瑠璃色」・・・


「瑠璃色のちきゅう~」と聖子ちゃんが歌っていましたね。






あとひとつ、代表的なものが。


「藍」






「藍色」は、藍という植物で染めた色のこと。


実は「藍」は「藍」でも、いろんな「藍」があるのです。




色が薄い順に、


「藍白」「浅葱」「藍」「縹」「掲色(かちいろ)」 「紺」ってなかんじ。


聞いたことある色名もあるのではないでしょうか。






しか~し。「かちいろ」・・・?


かちいろって、聞いたことありますか?


しかもこの漢字。


手へんの「掲」。見たことあります?






手へんの「掲」色。


その漢字から、この色名の由来がわかります。






その由来は、染色するときの方法によるもの。






さっき、薄い藍から濃い藍まで、その名前と一緒にご紹介しましたが、


かちいろ、結構、濃い方の藍色です。






藍をよ~くよ~く染み込ませるため、


染めるときに、臼の中で、布を棒で「掲つ(かつ)」


つまり、ガンガン「ついていた」ことから名付けられたといわれています。


※「つく」ことを、昔は、「掲つ」って言ってたんですな~。






ギュッギュッとつっついて藍をよく染み込ませてる光景が浮かんできますね~。






この「かちいろ」が纏われていたのは、平安後期のこと。






平安時代ってなんだか宮廷の彩り豊かな、優雅なイメージがありますよね。


ほほほぉ~的な。イメージ、おひなさまみたいな。




それが、平安後期になると、だんだんと武家社会になっていきます。


おかたいかんじよね。




おほほほぉ~的な前期→戦じゃーーー!的な後期へ。




重厚な色彩の時代になっていきます。




重厚な色彩の需要が高まる中で


戦に勝つ(かつ)!的なところから、


「掲色(かちいろ)」がめっちゃ重宝されるようになったのです。




受験前に、カツ丼食べる的な感じ。




甲冑とか武具とか、


戦にいくときに身に纏うものには、掲色(かちいろ)が使われるようになりました。








これは、明治時代になっても、日清・日露戦争のときも縁起担ぎで使われ、


「軍勝色」として流行っちゃったそうな。








戦は命がけ。


戦う人、それを見送る人、みんなの強い願いを背負った、重厚な色なんですね。








日本は、「想い」の強い国だなぁ、とつくづく思います。




想い、気持ち、心、そういうものが


日々の暮らしに根付いていて。




ちょっと難しい話になるけど、


むかーしから、日本人は、森羅万象に神が宿ってると思ってました。


森羅万象って、宇宙に存在する全部のものってこと。




キリスト、とか、


アラーの神とか、ブッダとか、


世界には色んな宗教があって色んな神様がいてはるけど、


日本は、身の回りの自然そのもの、すべてに、神が宿ってると信じてた。




自然に、神々が宿ってるって思って、


日々の暮らしのそばにある自然に感謝しながら


拝みながら、共存してきたんです。


これが、「八百万の神(やおよろずのかみ)」の考え方。




きっと、この、自然に感謝し、神として拝み


そこに気持ちを寄せて生活して生きてきた日本人やからこそ、


日本の色は美しく語り継がれてるんやろうなぁと思うんです。




だって、色って、自然やから。


青も、緑も、白も、茶色も、


美しい花の色々も、みーんな、自然の色。




色の名前を見てもそう。


紅色、桜色、萌黄色、藍色。


ぜんぶ、自然の草木、そのままの名前。




自然を愛し、その色をも愛し、気持ちを寄せて生きてきたんやなぁと思う。




掲色に「勝つ」気持ちを重ねたのも、


戦があった時代に生きる人たちは


生きたい、勝ちたい、という強い思いを持って、掲色に心を寄せていたんだろうなぁと。








さてさて。


以前「赤」のおはなしのときに、


日本人の「粋」についておはなししたと思います。


「粋」色が生まれた背景には、


幕府の出した偉そうな禁止令がありました。よね?




江戸時代、町人がリッチに、派手になっていくのが気に入らない幕府は


贅沢すんな!という「奢侈禁止令」っていうのを出して


質素な生活を町人に強いていました。




質素を強いられた時代に纏われていた色こそが、


「藍色」。


藍染の木綿とか野良着とか、とにかく質素な着物を着ていました。






でも、藍染のものって優れものやから、意外と気に入っちゃったみたい。






汚れも目立たないし、めっちゃ丈夫。


害虫が嫌いな臭いらしく、害虫も寄せ付けない。


洗えば洗うほど色が綺麗になるし、保温効果もあるもんやから


大工さんとか職人さんの作業着としても最適!!!






これ便利やーん!と、


藍染の布は、商家の暖簾とか風呂敷、手ぬぐいとか・・・


いろんなものに使われるように。






ってことは、染物屋さんは大忙し!!!






「紺屋」と呼ばれていた当時の染物屋さん。


忙しすぎて、






「紺屋の白袴」(こんやのしろばかま)


(売り物染めるのに忙しすぎて、売ってる本人は白い袴着てる)




※いそがしすぎて、自分のことに手が回らない、っていう意味






・・・こんなことわざまで生まれてしまったのです。








そうして時代は流れ流れて・・・


江戸後期になり、町人たちも経済的に独立してきて


なんか偉そうにしてる武士に、反抗心も芽生えてきて。


そうやって、四十八茶百鼠をはじめとする「粋」色が生まれた、


というのは、「赤」のお話でおはなししましたね!




実は、「藍色」も「粋色」として


いろんなバリエーションを生み出して「粋」を楽しんでいたのです。








日本人の間で、どれだけいろいろな「青」が普及していたか


それは


「ジャパンブルー」という言葉からうかがえます。






明治時代に、日本にきていたイギリス人の科学者、ロバートアトキンソンさん。


大学で先生してた彼は、




「日本って、藍を染料にしてて、この色がめちゃくちゃ使われてるねん。


初めて日本にきた外国人は、


日本の全国どこへ行っても青い服の人めっちゃおるーって絶対思うで。」




と、講義で話してたそうです。




そしてさらに、「藍の説(ジャパンブルー)」という小論文まで書いたそうな。






おなじ明治時代に日本にきた、


ラフカディオ・ハーン(怪談でおなじみ、小泉八雲)さんも、


自分のエッセイの中で、




「青い屋根の下の家もちっさいし、


青い暖簾を下げた店もまたちっさいし、


青い着物を着て笑ってる人もちっさい。」




て、書いてるそうな。








なんか・・・バカにしてる?って感じやけども。笑








とにかくまぁ、


外国からやってきた外国人にとっては、


この狭い島国にいる、


小さな人々、小さな建物、


なぜかいたるところに見る、藍染の青いもの。




なんとも不思議で、エキゾチックな・・・


なんしか、不思議な光景だったんだろうね。






藍色。


わたしも大好きな色。


藍だけじゃなく、日本には色んな青がありますね。






突き抜けるような青い空を見る夏も


もうすぐそこかもしれませんね!!










写真は、


小泉八雲さんの本の装丁。


自分だって青使ってるやん。