2018/02/06 15:08

眩しい。


肌を刺すくらいに眩しい、光の季節。






光の季節は色の季節。






色とりどりの花は、その光にこたえる様に鮮やかに踊り、


木々の緑は青々と、風に揺れる音に心洗われる。






『木々の「緑」が「青々」と・・・』




・・・むむ?




ここでクエスチョン。


小さい頃、不思議に思ったことはありませんか?








青葉?・・・緑やん!


青信号?・・・緑やん!








なんで緑色のものを「青」って言うんやろう、と。














さて。


今日のいろのおはなしは、


遅咲きの「緑」のおはなし。








むかーしむかし、「緑」という色は、あまりメジャーな色ではなく


「緑」という名前自体、あまり使われていませんでした。




今では「緑」って、メジャー中のメジャーですよね。


ぜったい色鉛筆にも絵の具にも入ってるしね。基本色ってかんじ。










では、今わたしたちが「緑」と呼んでいる色。


むかしの人は、なんて呼んでたでしょう。










そう、「青」。


「青信号」の謎は、この頃の名残だったんですね。








なんでかというと、


当時の染料で「緑」をつくるのが難しく、藍と黄色の染料を混色する・・・とか、


そんな方法しかなく、綺麗な色を作れなかったので、「緑」があまり普及しなかったのです。








そんな中、


時代は、色が人の立場を表す、そんな時代へと変化し


「緑」は「緑」としての意味をもって、人々に纏われるようになります。








色が立場を表す・・・


どゆこと?








そう。きっと学校で習った・・・はず。


聖徳太子が定めた、冠位十二階。位によって、色が配当された、アレです。


偉い人はこの色、そうでもない人はこの色、と身分によって色が決められた、アレです。








でも、冠位十二階の色のラインナップをみると


残念ながら「緑」はスタメンには選ばれてないのですが・・・




のちに、冠位十二階の位が増え、7色13階に変わり


ようやく、「緑」の位が登場!






でも・・・


まさかの下から2番目の位。






「みどりだよ、イインダヨ グリーンダヨ・・・」


(緑、心の俳句。)






緑の切実なアピールが伝わる句ですね。














「緑」がやっと・・・


注目を集めるようになったのは大正時代のころ。




この頃の日本は、戦争に勝った~!というノリノリな気分があり、経済的にも好景気。


すごく平和で、華やかな時代でした。








そんな時代の中で、ようやく、


「緑」は平和を寿ぐ色として「平和色」と呼ばれ、


爽やかな青葉のような「大正緑」が当時の流行色になりました。






平和色…


大正緑…


なんだか響きの良い名前。






口に出してみると、


大正モダンな街の風景や、


ハイカラな服装をした浮かれた人たちの


色彩豊かな姿が目に見えるようで


なんだかこっちもウキウキしちゃいます。






色彩に富んだ大正の時代。


「緑」への注目も、この時代に一気に駆け上がります。










明治と昭和の狭間で


大きく時代が動こうとしていたこの頃


政治やビジネスの中心だった、東京の新橋。






社交の場としての高級料亭があり、


新橋の芸者さんがその衣装に、明るい青緑を身に纏うようになりました。








すると、その色の美しさに大正女子がザワつき、巷では「緑」の話題沸騰。








yahoo検索ワード「緑 芸者 新橋」が急上昇。








「やばくない~?あの緑、超カワイイんだけどー!」






とか言ってたとか言ってなかったとか。


(東京やから東京弁で。)






冒頭でも少しお話しましたが、


日本では、鮮やかな「緑」をつくる染料や技術がなく


これまでの日本には「緑」のものってあまり出回っていなかったので、






「あんな綺麗な緑の着物見たことないんだけど~!超綺麗なんだけど~!」


(東京やから東京弁で。再)






と、見たこともない鮮やかな緑は、大正女子の心を鷲掴み。






大正時代に入り、


緑の人工染料が輸入されるようになり、鮮やかな緑が表現できるようになったのです。






瞬く間に、新橋芸者さんの身に纏う「緑」が一般の女子たちにも広まり、


その鮮やかな緑のような青のような美しい色は、


その地名をとり、「新橋色」と呼ばれるようになりました。






新橋色。すごく綺麗な色。


クリーミーな感じもあり、爽やかな、上品で、美しい「緑」。






こうして日本の「緑」は、


「新橋色」という名前をもつ


日本の華やかな大正の時代を語る上で欠かせない


大切な色のひとつを生んだのです。






こうして人気色になっていった


遅咲きの「緑」。






でも、


南北に長く、山や川があり、起伏に富んだ地形をもつ日本の


豊富な「緑」の中で生まれ育ってきたのです。




決して「緑」が嫌いだったわけじゃない。








その証拠ともいえるのが、


平安時代、姫君たちが纏っていた「襲の色目(かさねのいろめ)」。


襲の色目とは、四季の草花や景色を写し取り、その色合わせを身に纏うもの。






簡単に言うと、着物の裏表の色合わせとか、


重ね着をするときの、一枚目と二枚目の色合わせとか、


その季節に合った色合わせを考えて、色を重ねて着るってこと。






たとえば、春には「桃」と呼ばれる色合わせがあります。


これは、表に、淡紅の色、裏に、萌黄色を合わせ、


2色で「桃」色を纏い春を慈しむことを楽しんでいたのです。






この色合わせ、季節に合わせていろいろな色合わせがありますが、


なんと、緑の登場回数、めっちゃ多いんです。






なぜでしょう。






襲の色目は、四季を切り取ったものだから。




日本の美しく豊かな四季と、その四季に咲く花や景色の色をそのまま


身に纏っていたからです。






日本の景色は、


いつ、どこを切り取っても、「緑」は欠かせない色なのです。






豊かな緑が雪に覆われる冬の色合わせにも、


春を待ちわびるかのように


「緑」を多用した色合わせが多くあります。






平安女性がどれだけ「緑」に憧れをもっていたか、わかりますよね。








やっぱり・・・




春の色とりどりの洋服が並ぶショーウィンドウに


心躍らせる平成女子と同じように、




襲の色目を纏った平安女子も、


「緑 芸者 新橋」で検索しちゃうほど「新橋色」に魅せられた大正女子も、


綺麗な色、好きな色、着たかったんですよね!


(検索はしてないと思う)










でも、


むかしの日本女性は、


綺麗な緑が好きでも、綺麗な緑の着物なんて、あまり手に入らなかった。






女性だけでなく、男性だって。






立場によって、色が定められて、「緑は下から二番目の人~」と


勝手に決められてたもんだから。




偉い人は、いくら緑が好きでも、


人目を気にして…着れないな~っていう時代があったのです。






ややこしい時代だぜ。






いま、この時代は、色を自由に纏える時代。








幸せな時代に生まれましたね。














遅咲きの「緑」。












ゆっくりと、


日本の歴史に育まれ、


愛され、磨かれてきた「緑」を通して


現代に生きる喜びにひとつ、気付かされたような気がします。